博多陸友会の歴史 HISTORY

1980年5月14日、当時の福岡走ろう会所属であった、渡辺文夫(故人、初代会長)、永田清人(故人)、斉藤孝(故人)、甲野静男、野口豊(現会長、渡辺文夫は義父)の5人のランナーによって、本格的な練習ができる会、博多陸友会が創立されました。
たった5人から始まった博多陸友会でしたが、現在では100名近い会員数を誇る、福岡を代表するランニングクラブへと成長しました。
新たな練習環境を求め切り開いていった5人のランナー。そのチャレンジ・スピリットが博多陸友会の原点であり、現在も脈々と引き継がれている伝統なのです。

東京オリンピックが開催される2020年は、博多陸友会の創立40周年の記念年でもあります。多くの仲間と共に2020年を迎えられますよう、今後とも博多陸友会をよろしくお願いいたします。


博多陸友会 名誉総裁 故 永田清人


博多陸友会は永田氏を囲むように4名の仲間で発足しました。
残念ながら永田氏は皆さまに惜しまれつつもこの世を旅立たれてしまいましたが、 現在もなお永田氏の熱い思いは何ら変わらず博多陸友会に受け継がれています。

「プロフィール」

日付 年齢  
昭和30年12月 18歳 全国高校駅伝大会に鹿児島県代表として出場 (16位)
 〃 31年 3月  〃  鹿児島鉄道高校 (現 樺南高校)を卒業
 〃 31年 4月  〃  東京のアクセサリー卸屋に就職
 〃 39年 4月 26歳 結婚
 〃 40年12月 28歳 福岡市に出張所を開設 初代所長として就任
 〃 52年 8月 40歳 40才を機にジョギングを開始、マラソンに魅せられマラソンを走りたくて退職
 〃 54年 1月 41歳 (有)永田宝飾を設立 代表取締役に就任
 〃 56年 2月 43歳 フルマラソン(42.195Km)に挑戦(3時間39分00秒)マラソンの苦しさを知る
 〃 56年 3月  〃  長男の中学校卒業記念に福岡~鹿児島320Kmを父が走り、長男が自転車で伴走
平成 2年 4月 52歳 地元、愛宕校区の体育振興会会長に就任
 〃  3年10月 54歳 福岡市長よりスポーツ振興賞を受く
 〃  4年10月 55歳 福岡-東京1200Kmを14日間で完走
 〃  5年10月 56歳 札幌-東京1050Kmを13日間で完走 (日本縦断を達成)
 〃  6年10月 57歳 九州一周1060Kmを14日間で完走
 〃  7年 8月 58歳 アメリカ大陸横断4700Kmに挑戦3400Kmで貧血の為ドクターストップ無念のリタイア
 〃  9年10月 60歳 青森-福岡1800Kmを25日間で完走
 〃 13年 6月 63歳 日本一周7000Kmを148日間で完走

 


「50歳代の主な成績」

日付 年齢 大会名 大会地 距離 順位
昭和63年 1月 50歳 指宿菜の花マラソン 鹿児島 42.195Km 優 勝
 〃 63年 4月  〃  小笠掛川マラソン 静  岡 42.195Km 優 勝
 〃 63年 5月  〃  岩国錦帯マラソン 山  口 42.195Km 優 勝
 〃 63年10月 51歳 世界老壮年マラソン 韓 国 42.195Km 優 勝
平成 元年 1月  〃  指宿菜の花マラソン 鹿児島 42.195Km 優 勝
 〃  〃  4月  〃  小笠掛川マラソン 静  岡 42.195Km 優 勝
 〃  〃  5月  〃  岩国錦帯マラソン 山  口 42.195Km 優 勝
 〃  〃 12月 52歳 ホノルルマラソン ハワイ 42.195Km 優 勝
 〃  2年10月 53歳 新潟マラソン 新潟 42.195Km 優 勝
 〃  2年12月  〃  ホノルルマラソン ハワイ 42.195Km 優 勝
 〃  3年 5月  〃  九州縦断マラソン 大分 140km 1位(総合4位)
 〃  〃  6月  〃  阿蘇カルデラマラソン 熊本 100km  〃(〃11位)
 〃  〃  9月 54歳 スパルタスロン ギリシャ 245km 総合8位(日本人1位)
 〃  5年 6月 55歳 サロマ湖 北海道 100km 1位(総合26位)
 〃  8年 8月 59歳 レッドビルトレイル アメリカ 160km 完 走(〃155位)